鳥にとっての鳥類学と同程度にしか科学者の役に立たない:科学哲学

これは、科学哲学を揶揄してファインマンが言ったとされる言葉である。(実際は他の人らしい。
そんな科学哲学とその歴史についてまとめていく。

科学哲学とは何か

科学哲学は、科学を研究対象としている。科学的な課題に哲学の目線で取り組むわけではない。「地球上の人類という種がやっている科学という営み」を理解しようというものだ。
 ※この点で、鳥にとっての鳥類学と同じという比喩は非常に正しい。
例えば以下のようなテーマが取り扱われる。
 ・科学の方法はこういうもの、と言えるか。疑似科学とはどう違うのか。
 ・科学は演繹、帰納などをどう組み合わせて科学の方法を成しているか。
  帰納は正当化される方法なのか。
 ・科学の目的とは何か。
 ・科学理論は実在のありのままの姿を記述したものか。
こうした哲学は、かつて科学が迎えた危機をきっかけに発生した。
ここからは、科学哲学の歴史を概観する。

科学哲学の歴史

1900年頃に重なった科学危機

1900年前後には、数学・物理において大きな変革が発生している。
数学ではラッセルのパラドックスを起点として数学基礎論が発展し、物理学では相対性理論・量子力学が発生している。いずれも、それまでの理論では説明できない、理論を揺るがす危機に直面し、根本的な見直しが行われたタイミングである。
これらの危機を一つのきっかけとして、科学とは何かを問い直し基盤を固めるため(狭義の)科学哲学は誕生した。

論理実証主義(ウィーン学団)

最初に登場する論理実証主義は、大きく2つの主張を行っている。
しかし、どちらも問題を抱え、衰退していくことになる。
主張1.命題が科学的に有意味であるためには、検証可能性を持たなければならない。
  経験によって確認できることをもって科学的な命題と認める、という考え方。
  背景には、神や魂などの形而上学的命題を科学から排除しようという意図がある。
  ⇒(抱えた問題)
   科学で一般的な「全ての〇〇について××である」の形をした命題は経験で確認できない。
   その結果、この基準に則ると、”科学的”と言えるものが殆ど何も残らなかった。
主張2.すべての科学は統一可能である。
  社会は人から成り、人は細胞から成り、細胞は分子/原子から成り、、と分解できるのだから、
  統一された方法で全ての学問を統合できるはずだ、という考え方。
  全てのものは、初期条件+一般法則による演繹でつながっているとされた。
  ⇒(抱えた問題)
   歴史上の因果についても物理運動法則まで還元しようというものであり、
   壮大すぎて手を付けた時点で挫折。

反証主義(ポパー)

論理実証主義の”検証”に対し、ポパーは”反証”に注目した。
「全ての〇〇について××である」ことを経験で確認することはできないが、「ある〇〇について××でない」ことは経験で確認できる。つまり、論理的に正しい手続きで”検証”はできないが”反証”はできる。これを活用して、推測で立てた仮説を反証しようとする試みを科学の本質と考えた。

この立場からは、科学的な命題とは反証可能性を持つ命題である、と言える。抽象的な表現や多義性によってどうとでも言えるものは疑似科学である、と一線を引くことができる。

反証主義に対する批判としては、
 ・反証されたときに言い逃れすることで結局反証不可能になるのではないか。
 ・反証可能性がなくても科学的な命題であるものがあるのではないか。
といったものがある。

パラダイム論(クーン)

トマス・クーンは、研究者たちにモデルとなる物の見方・考え方である、パラダイムを導入した。
通常の期間はパラダイムに則って緩やかに進展するが、そのパラダイムでは解決できない事象が蓄積するとパラダイムの転換、すなわち科学革命が起きるという科学観だ。
ここには、2つのポイントがある。
1)論理実証主義に対して
 論理実証主義では、命題を蓄積していくことで科学は連続的に進化していくという考え方だった。
 それに対し、パラダイム論は断続的進化を唱えている。
2)反証主義に対して
 パラダイムには命題だけでなく、規範のようなものも含まれる。
 したがって科学は反証可能性がないものにも依存しているではないか、と主張した。

また、パラダイム論では、パラダイムの転換には論証だけではなく社会的要因も関連することを示唆している。これが科学社会学を生んでいくことになる。

科学知識の社会学(エディンバラ学派)

科学者集団を取り巻く社会的な状況に注目した議論は、いつしか、科学知識は社会的要因によって規定されている、という考え方を生んでいった。「ストロング・プログラム」では数学や論理学すらもその対象とし、自然数も社会的な構成物であると主張する。

こうした考え方に対して自然科学者から反発があったが、そこに対して再反論を試みたのが雑誌「ソーシャル・テクスト」であり、その際に掲載した論文の一つが、まさにソーカル事件として名高いソーカルの論文だった。
この事件をきっかけに、科学知識の社会学は下火になっていく。

現在の科学哲学

現在の科学哲学は、ここまで触れたような科学一般の議論だけでなく、化学の哲学や進化論の哲学など、個別科学に特有の概念を対象とした哲学への拡がりを見せている。
http://tiseda.sakura.ne.jp/PofSbookguide.html

参考図書

1.野家啓一「科学哲学への招待」
 科学史を下敷きとして科学哲学の流れを概観した書籍。
 本稿は、主に本書の第二部を参考とした。
 https://www.amazon.co.jp/dp/4480095756

2.戸田山和久「科学哲学の冒険」
 対話形式で科学哲学の概観、及び実在論の議論を紹介した本。
 対話形式は何の話をしているかこまめに明示されるので追いやすい一方、
 登場人物と気が合わないと辛い。これはいい本。
 https://www.amazon.co.jp/dp/4140910224

 なお、冒険しすぎだという人もいる。
 http://tiseda.sakura.ne.jp/works/adventure.html

 また、実在論と反実在論については以下の記事でまとめられている。
 https://shinchology.net/2020/06/03/philosophy-of-science/
 (極論さえしなければ)反実在論の経験的構成主義と科学的実在論は、ほとんど同じではないかと思う。

3.須藤靖・伊勢田哲治「科学を語るとはどういうことか」
 物理学者が科学哲学者に不信をぶつけながら、異文化間理解を狙う対談本。
 お互いに時々荒い応酬をするので、見ていてちょっと戸惑う。
 https://www.amazon.co.jp/dp/430962457X

4.森田邦久「科学哲学講義」
 科学哲学が取り扱う様々なテーマを平易な表現で解説した本。
 こういう論があるがこういう部分が説明できないのでダメなのです、が繰り返される。
 こういうときに、ですます調であることが読み辛さを増すのはなぜだろうか。
 https://www.amazon.co.jp/dp/4480066705

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