日本中世にギフトエコノミーを訪う:贈与の歴史

社会科学

対価との交換ではなく一方的な贈与を中心とした経済、ギフトエコノミー(贈与経済)という言葉がある。映画「ペイ・フォワード」のように、誰かに対して善意を送ることを連鎖、循環させていくものだ。思想だけでなく、実際にこの考えに則って運営されている店舗も存在する。自分の食事代は誰かが払ってくれている、という状態が維持されることで成立している”カルマ・キッチン”という店である。

こうした経済は可能なのか。成立するためには、既存のどんな考え方と競合するのか。そのヒントを得るために、贈与が一つの経済をなしていた、日本中世の姿を見ていく。

贈与にまつわる義務

マイケル・モース「贈与論」、及びゴドリエにより、贈与をめぐっては4つの義務が存在することが提唱されている。その4つは以下の通り。
1.贈り物を与える義務
 他の人は贈り物をしている中、自分だけはやらなかった場合、礼儀に欠けるとの悪評が立つなどの不利益を被るだろう。よって、時として、贈り物をすることは義務でもある。
2.それを受け取る義務
 贈られたものは受け取らなければならない。好意として示された贈り物を受け取らないことは、相手との人間関係構築の拒否にあたるからである。
3.お返しする義務
 贈り手の意識がどうであれ、贈り物を受け取った側には債務意識が発生する。この意識を解消するには、形は様々あれど、お返しをしなければならない。
4.神や、その代表たる人物に贈与する義務
 あらゆる宗教で、神に対して捧げものが求められる。

贈与から税への転化

税へと転化する事例

もともとは贈与であったものは、容易に税へと変わっていく。

神への贈与であったものが税に転化した例が、日本で初めての本格的な税といわれる租や調である。
もともと、その年初めて獲れた米や野菜などの収穫物を神に捧げる文化があり、そのために豪族が民衆から徴収していたものが初穂と呼ばれる。これが租(米での納税)や調(特産品での納税)へと転換していったと考えられている。

また、人への贈与であったものが税になっていった例も見られる。
日本中世、室町幕府の時代のこと。御所の修理など、幕府が大きな臨時支出に直面した際、守護大名たちがお金を出し合って将軍に申し出る、守護出銭というものがあった。この構造は、親族などの中に突発的な支出が必要な者があれば贈り物で支援する、トブラヒという相互扶助の仕組みに類似している。
守護出銭はもともと守護大名による自発的な贈与であったため、贈る金額は守護大名たちが決定していた。しかし室町中期ごろには、将軍側から各大名の負担額が指示されるようになり、実質的な税制に変貌していっている。

税への転化をもたらす強制力

このように、贈与は税に転化する。その背景には大きく2つの考え方があるとされる。

まず第一には、「有徳思想」という室町時代に広まった考えがある。これは、富める者は多くの徳を施すべし、という、日本版ノブレス・オブリージュともいうべきものだ。直接的な施しでなくとも、富裕者が代表して費用を負担することは、他者に対する間接的な贈与にあたる。これを当然とみなすところには、贈与を強制する発想がある。

もう一つは、「先例」に合わせることをよしとした文化である。この文化は贈与の文脈でいえば、一度贈り物をすると、以降も同じように贈り物をし続けるのが正当なことだと捉えられることになる。ここにも同様に、もはや強制力を持ってくる様子がうかがえる。

贈与による信用取引

室町時代の贈与習慣は、一種の金融システムにまで広がっていた点で興味深い。

室町時代の贈答風習では「相当」であること、すなわち、贈答が等価値でなされることが重要だった。「先例」にも見られるように、手続き・プロトコル通りであることが何より大事ということだ。これは、相手がもらってうれしい(使用価値のある)品物というより相応の価値がある(交換価値のある)品物を贈る、という運用をもたらす。それならば、同じ品物を同じ数だけ贈りあうのが簡単だ。さらにいえば、品物でなく金銭でいい。

現在でも結納などの正式な贈答にあたっては目録が添えられるが、これは当時でも同様であった。金銭を贈与する場合は、金額だけが書かれた紙ということになる。こうした目録は、実際の金銭の受け渡しに先立って贈られるのが一般的であった。先に目録だけ渡しておき、金銭の受け渡しが済んだタイミングで、目録に受領印代わりの印をつけて返却する、というやり取りが行われていた。この目録の贈呈から金銭受け渡しまでの期間は、数か月から数年にも及ぶ例があったようだ。

こう見ると、目録という名の約束手形を発行しているようなものだ。稀な事例ではあるが、この目録の譲渡すら行われていたことがわかっている。

贈与と疎外

ここまでで見たように、暗黙的な多くの義務・慣例に従って贈答は行われていた。「相当」の点でも触れたように、同じ商品を贈りあうような、一種の儀式をこなす状態に変化していっている。ここに、贈答が形骸化し、その手続き通りにこなすことだけが求められる、ヘーゲルのいう”疎外”が起きている。

これを避けるには、ここまで触れたような強制力のもとになる発想を否定していく必要があるのだろう。他の人がどうやってきたかを気にせず、富裕者が多くを払うことを求めず、自分が受け取ったものと与えるものとのバランスを気にしない。なかなかに難しい行動を求められそうだ。

参考図書など

1.桜井英治「贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ」
 https://www.amazon.co.jp/dp/4121021398

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